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宮沢賢治「土神と狐」の現代恋愛的感想。男の純情はまだ存在するのか?

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数年ぶりに、宮沢賢治の本の朗読を聞いた。

「土神と狐」。

これは絵本にもなっているが、挿絵のない本か朗読を聞いたほうが、登場人物への先入観をもたないで、物語に入り込めるだろう。

 

「土神」は、樺の木に想いを寄せ、恋のライバルの狐に激しく嫉妬し、狐を殺してしまう。

現代にこんな純情で一途な男は存在するだろうか?

 

好きな女性ができて、特に話題もないけれど会いに行ってしまう。何度彼女に会っても、うまく話はできず、優しくすることも、告白することもできない。

ある日、洒落た男が彼女と楽しそうに話している。それを見ると絶望感に襲われ、家の中にこもってしまう。そして、長い間かけて自分の心を調整し、二人を祝福しようとするが、嫉妬の炎は再び燃え上がり、その気障な男を殺してしまう。その後で、その男は実は見せかけだけのカッコよさしか持ち合わせていなかったことを知ると、自分は暗黒に落ちてしまう。

 

「狐」のような見掛け倒しの詐欺師のような男は今でも結構いる。彼は天文学や文学に精通して知識はたっぷりあるようだったし、社交術にも長けた才能はあったから、ただお金がなかっただけだ。自分を大きく見せることは、現代社会で生きていくためには、必要なのではないだろうか。いや、むしろそんな能力がなければ、さぞ生きづらいだろう。

 

しかし、「土神」のように好きな女性に告白もできず、勝手に悩み、相手を嫉妬で殺してしまってから、自分とある意味同類だったとわかり、これほど深い罪悪感に苛まれる男はいるだろうか?

多分、そこまで純情な男性は今は殆どいないだろう。ここまで純情でいられるほど、世の中は甘くない。

自分の敵を徹底的に叩きのめした後に、相手の悲劇を知ったからといって廃人になってしまうわけにはいかないのだ。

我々は平和な世の中でも、なんとしてでも生きていかねばならず、深い純情というものが重荷になることを理解している。だから、こうした感情を持つことを、無意識でとりのぞいてしまっているのだ。

 

物語のエンディングは、「土神」はもう二度とこの世に現れないような雰囲気を醸し出しているが、もしかしたら、また立ち直って平然を装いながら、残りカスのようなプライドだけを支えに、樺の木の前に現れるかもしれない。

 

この物語で「土神」が死なず「狐」が死んでしまったのは、宮沢賢治が農作をしていたことにも関係があるのだろう。

畑を侵食するカモガヤや農作物を荒らす野生動物は、賢治の敵だったに違いない。

 

宮沢賢治の物語は大人になってから、いや、歳を重ねるごとに、自分なりの納得がいく解釈が生まれてくる。

クラムボンが何であるかも、やっとわかってきたところだ。

 

 

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