バンクシー大阪でも発見?ピンクのネズミ?グラフィティアートはどこまで許されるか?
最近、日本でバンクシーの作品が見つかっている。
一つは港区、もう一つは九十九里。
そして今度は大阪の阪神電鉄の縁石。
バンクシーは日本には来てないと思っていたが、来ていたんだね。
港区の防潮扉に描かれたネズミは本物の可能性がかなり高い。
描かれた時代も背景も合ってるし、動画や出版物にも、「東京のバンクシー」として何度も載っている。多分本物だろう。
この時期は、バンクシーはネズミに凝って世界のあちこちで描いていたからね。
しかし、バンクシーからの犯行声明はででないし、問い合わせにも応じてくれないそうだ。
世界の東京なんだから、答えてくれたっていいのにな。
今から16年前に描かれたのだったら、ネズミの意味は、大気汚染への憂いや、都市開発によって弱者が泣きを見るという意味合いのものじゃなく、「物をもつな!シンプルに生きろ!裸になれ!」という最初のネズミのメッセージなのではないだろうか。
確かに東京は奢った都市だからね。
九十九里の「風船と少女」は真作であるのは、ちょっと怪しいかなあ。
バンクシーが描く「風船と少女」のテーマはいつも同じだし、それをのどかな九十九里に描く必要性があまり感じられない。
サザビーでのシュレッダー事件の後、誰かが描いた新しいもののようにも感じられる。
しかし、現在、壁に描かれている「風船と少女」はロンドンにある一点だけなので、もし本物であれば、世界に2つしかないものとなる。
こっちの真偽は楽しみである。
サザビーで刻まれた「風船と少女」もしくは「愛はゴミ箱の中に」は、落札した女性が
刻まれた後も、1億5千万で買い取り、今はドイツの美術館で展示されている。
もし、九十九里の絵が本物なら、いくらの価格がつくのだろうか?
大阪のピンクのネズミは悪戯でしょう。
こういったステンシルアートは意外と簡単に型が作れるから、こうしたいたずら書きはこれからも増えていくだろう。
そもそもグラフィティアートは意味をもたせれば芸術なんだろうか?
現代美術の中に落書きは含まれてしまうが、それなら、トンネルや壁や陸橋に描かれた下品な色彩と言葉も芸術として許されるのではないだろうか?
無断で他人の所有物に絵を描く犯罪をしているバンクシーは、一応、覆面アーティストだが、一定の人たちは、バンクシーとコンタクトが取れ、会うことさえでき、ビジネスが成り立っている。
グラフィティアートはゲリラアートとも呼ばれているが、痕跡を残さないインスタレーション的なゲリラフローリストもいる。
ゲリラフローリストたちも無断で道路に花を飾るが、数時間後にはきちんと片付ける、礼儀正しさだ。
またストリートアーティストでも、時間や雨で消えていくチョークで建物や道路に絵を描いていく作家もいるのだ。
ゲリラアートは新鮮な驚きが嬉しいものだが、作品を作ったら自分で後始末をしてもらいたいものだと思う。
とにかく、バンクシーの影響で、これから日本の公共物などに、自己顕示欲まるだしの下手な落書きが増えないことを祈っている。
- 作者: Banksy(バンクシー),廣渡太郎
- 出版社/メーカー: パルコ
- 発売日: 2011/07/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本は、かなりの数のバンクシーの作品が載っていてオススメだ。